「“お出迎え”と“お見送り”に心を込める。」
工藤 俊行 氏
居酒屋、海鮮2010年創業
いずれ自分のお店を持ちたいという夢があった。元々、料理は、中華が専門だった。ウインザーホテル時代には、サミットで各国の要人に料理を提供した経験が自信に繋がったのもあり、いざ、出店を決意するも、中華では、昼は強いが、夜が弱くなる傾向にあるので、熟慮の結果、“和食をメインにした中に、美味しい中華も出て、色んな種類のお酒が楽しめる”且つ“北海道産の鮮魚を炭火で提供するお店”をコンセプトとした。そう考えたのは、これからは、世界遺産登録や、高齢化社会においては、最終的には、消費の流れが和食に戻るはず、という分析だった。やはり最初は、居酒屋に来て、「何故、麻婆豆腐?」と思われたが、狙い通り、今では、“居酒屋なのに本格麻婆豆腐が味わえるお店”として、意外性が、口コミで広がり、一番の人気メニューになった。OPENした翌年に、東日本大震災以後のススキノ不況を乗り越え、現在、しゃぶしゃぶがメインのお店「しずく」と2店舗を運営する。自分の中で、必ず決めているのは、「お出迎え」と「お見送り」をする事だ。この心を届ける小さな行動は、どんなに忙しくても欠かした事がない。今後は、海外や、別の業態のお店も視野に入れ、チャンスがあれば展開する。
自分自身がまず仕事を楽しみ、お客様に店を楽しんでもらう!
米田 研介 氏
居酒屋、焼とり2014年開業
焼きとりよね田中野店は、西荻窪に本店を持つ『焼きとりよね田』の支店として2014年に開業した。本店はオーナーの米田氏が、独学で料理を学び試行錯誤しながら商品開発し2006年に開業したという。その後、2012年に2店舗目となる『焼肉よね田』を西荻窪に開業し中野店は3店舗目となる。
「焼きとりよね田」の名物は圧倒的なボリュームがあるつくね串だ。鮮度が良く刺身でも提供出来る国産の鶏肉を使用し、挽肉100%でつなぎを使わずに仕込む。肉本来の肉々しさを感じられ、開業から継ぎ足しながら使用しているこだわりのたれと共に味わえる評判の逸品だ。
「つくね串以外にも焼き物や一品料理、揚げ物などお客様の反応を見ながら増やしています。素材に関してはもちろん新鮮なものを使用していますが、特にうちの店では一般的な焼き鳥店のサイズより大きめにして、お客様に喜んでもらえるようにしています。」そう中野店店長の神園氏はいう。鮮度の良いものを低価格で、ボリュームが大きく食べられると若い女性から年配のお客様まで幅広い層がファンとなっているという。
「中野店は2014年にオープンして、まだ始まったばかりですが、徐々に常連のお客様も来て頂けるようになりました。大切にしている事は、まず自分たちが仕事を楽しむこと。皆が働きたくなるような店づくりをしてこそ、来て頂けるお客様も楽しんで頂く事が出来ると思っています。」今後も店のチームワークを第一に、地域のお客様に楽しんで頂ける店づくりを続けて行きたいとのことだ。
「金をかけずに愛をかける店作り!」
時崎 仙浩 氏
カフェ、レストラン2012年開業
以前イタリアを旅した時、現地の“バール”に触れ、その魅力に感動した。雰囲気、スタッフ、売り物、見るモノ全てに憧れた。本場で見た“バール”は、日本にはない!と思い、何れ自分の手で、作りたいと考え、その為の修業を始めた。バリスタとしてコーヒーを学び、ワインやお酒の知識、ジェラードや料理などを修得し、札幌市内のカフェで店長を務め、店舗を運営するための様々な、経営知識を得た。そのカフェが閉店するタイミングで、独立を決意。イタリアにホームステイしながら、本場の味を修得し、帰国後は、物件を探しながら、持前の知識を活かしたカフェコンサルタント業を行って実績を残してきた、自信もついてきた矢先、平成24年、まさに思い通りの立地と、広さの1階物件と出逢い満を持して、開店した。ほぼ手作りの内装は、随所に憧れた本場“バール”の要素を取り入れ、イタリア人も来店するなり懐かしむ程の雰囲気を作り上げた。本来“バール”は日本で言えば、駅のキオスクのような存在で、酒もあれば、ジェラートもあり、しっかりとした美味しいコーヒーが気軽に飲めるお店だそうだ。そんな折、出場した、日本バリスタ協会(JBA)主催「バリスタグランプリ2014」で、堂々、日本一の栄冠を獲得し、その実力を証明した。2店舗目ラ・タヴォロッツァを開き、今後も子供の如き店とスタッフに愛情を注ぎ続ける。
「金をかけずに愛をかける店作り!」
広瀬 正人 氏
居酒屋2004年開業
実家は、温泉旅館などを営む商家で、男子は、30歳までに独立起業するのが、暗黙の了解だった。サラリーマン時代は、10年間、業務用洗剤メーカーの営業職に就いていた。飲食店を始めるきっかけは、手に職がなかった事と、営業時代に、多くの飲食店さんを見続け、衛生アドバイスをしていた経験から、良い店を見極める目が養われていた事だった。平成16年、29歳の時、琴似で第1号店、酒食家「とりもん」を開店。裏路地で、目立たない事もあり、OPEN後3ケ月は、全くの不振だった。その時、営業で培った経験を活かし、琴似近辺の会社に営業して歩いた。回った数、3ケ月で約8000社。朝と晩は、自らチラシを、地下鉄駅、JR駅で、配り続けた。寝る間を惜しんで動き続けた3ケ月後、お店は、連日満席の大繁盛店となっていた。“暇だ暇だ”と嘆くお店程、衛生状況が悪かったり、営業中にTVを見ていたりする事を知っていたし、商売で、「待ちは、現状維持と衰退しかない、攻めて攻めてちょっと上がる位」だと認識して、ひたすら行動し続けた結果だった。また、緻密な数字の管理も欠かず行い、一日一日の数字を大切にした。お店を出す上で大事にしている事は、初期投資を徹底的に低く抑える「金をかけずに愛をかける!」事と、良いお店が数多くある中、選ばれる為に大事なのは“人”!「男は太陽であれ!女は花であれ!」がモットーだ。今後は、スタッフと共に今のお店に更に磨きをかけていく。
「お客様に喜んでもらいなさい。」
関本 敏安 氏
和菓子1983年開業
昭和58年、父である先代が、「キャンディー屋」として創業した会社を、平成20年、他界をきっかけに、代表に就任した。元々先代は、昔ながらの職人気質で、事細かに教えてくれる人ではなかったが、傍で共に仕事に励み、色々な技術を習得していった。亡くなる前に、先代が原案を考え、自分が形にし、二人三脚で作り上げた「雪だるま焼き」が、会社一番のヒット商品だ。北海道らしい見た目の珍しさ、可愛らしさだけではなく、他店では真似の出来ない“もっちり・パリッと”した薄皮と、美瑛の農家さん達が生産する、珍しい小豆“しゅまり”で作った“あんこ”が自慢の逸品だ。“しゅまり”は、香り・艶・味わいのどれをとっても、あんこに適した品種だが、一般にはなかなか出回らない、生産量が極端に少ない品種だ。元々あんこが苦手だった自分でも、自然に食べられるこの“しゅまりあん”を多くの方に広めていきたいとの思いが強い。言葉少ない先代が常に言い続けてきたのは、「お客様に喜んでもらいなさい。」この言葉を胸に、お客様、取引先様を含む多くの方に可愛がられる会社作りがモットーだそうだ。地域に愛され、応援されるモノ作りを目指し、先代から引き継いだ味を守り、追及し、日本全国の方に知ってもらう取組みを進める。